6月の礼拝説教から

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   聖書 使徒言行録 2章1〜13節
 
     
 

  1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
  5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

 
      (c)日本聖書協 会『聖書 新共同訳』 より
 







           
  説教 「一同は聖霊に満たされ」  
           
  五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた(1節)。
 
 



 
           
   「五旬祭の日が来て」とありますが、原文では「五旬祭の日が満ちて」となっています。「月が満ちて」(ルカ福音書2章6節)主イエスがお生れになったように、一日一日の積み重ねを経て、いよいよ決定的な時を迎えたのです。
それは「突然・・・天から」(1節)起こりました。しかも、「激しい風」に譬えられる出来事です。旧約聖書のヘブライ語(ルーアッハ)でも新約聖書のギリシア語(プニューマ)でも、「」と「」は同じ言葉です(ヨハネ福音書3章3〜8節)。風には色も形もなく、見えません。捕まえておくこともできません。しかし、よどんだ空気を吹き払います。そればかりか、この「天からの激しい風」は新しい命を吹き込む神の霊です。
この時、「激しい風が吹くような音」とともに、「炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった」とあります(2節)。これをイメージしたある人は、「何とグロテスクなことか」と言いました。しかしそれは、あまりに表面的な理解に基づく誤解に過ぎません。この場合の「舌」は言語を発するための器官ではなく、「言葉」そのものを意味します。「炎のような舌」は、「激しい風」同様、「天からもたらされた言葉」、つまり神の言葉です。
「書かれた神の言葉」=聖書、「語られる神の言葉」=説教、「見える神の言葉」=聖餐、そして「受肉した神の言そのもの」=イエス・キリストは、聖霊によって正しく知られます。主イエスは、「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と言われるのです(ヨハネ16章13節)。
そのため、聖書は続けてこう述べています。「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(3節)。聖霊とともに神の言葉を受けた教会は、この時以来、世界中に向けて神の言葉を語り始めました。
聖霊は今日の私たちにも、命を吹き込む風です。不安や虚しさに陥る時も、悩みや悲しみが消えない時も、神さまは内側から働いて私たちを慰め、励ましてくださいます。聖霊は、主と永遠に一緒にいることを保障する「弁護者」です(ヨハネ14章16節)。私達もまた聖霊に励まされて、御言葉の説き明かし(奨励)や祈りや奉仕に励みたいと思います。
 
    (6月8日の礼拝説教から  牧師 井上一雄)