6月の礼拝説教から PDFファイルで読む |
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聖書 使徒言行録 2章1〜13節 |
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1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 |
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(c)日本聖書協
会『聖書 新共同訳』 より |
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説教 「一同は聖霊に満たされ」 | |||||
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた(1節)。 |
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「五旬祭の日が来て」とありますが、原文では「五旬祭の日が満ちて」となっています。「月が満ちて」(ルカ福音書2章6節)主イエスがお生れになったように、一日一日の積み重ねを経て、いよいよ決定的な時を迎えたのです。 それは「突然・・・天から」(1節)起こりました。しかも、「激しい風」に譬えられる出来事です。旧約聖書のヘブライ語(ルーアッハ)でも新約聖書のギリシア語(プニューマ)でも、「風」と「霊」は同じ言葉です(ヨハネ福音書3章3〜8節)。風には色も形もなく、見えません。捕まえておくこともできません。しかし、よどんだ空気を吹き払います。そればかりか、この「天からの激しい風」は新しい命を吹き込む神の霊です。 この時、「激しい風が吹くような音」とともに、「炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった」とあります(2節)。これをイメージしたある人は、「何とグロテスクなことか」と言いました。しかしそれは、あまりに表面的な理解に基づく誤解に過ぎません。この場合の「舌」は言語を発するための器官ではなく、「言葉」そのものを意味します。「炎のような舌」は、「激しい風」同様、「天からもたらされた言葉」、つまり神の言葉です。 「書かれた神の言葉」=聖書、「語られる神の言葉」=説教、「見える神の言葉」=聖餐、そして「受肉した神の言そのもの」=イエス・キリストは、聖霊によって正しく知られます。主イエスは、「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と言われるのです(ヨハネ16章13節)。 そのため、聖書は続けてこう述べています。「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(3節)。聖霊とともに神の言葉を受けた教会は、この時以来、世界中に向けて神の言葉を語り始めました。 聖霊は今日の私たちにも、命を吹き込む風です。不安や虚しさに陥る時も、悩みや悲しみが消えない時も、神さまは内側から働いて私たちを慰め、励ましてくださいます。聖霊は、主と永遠に一緒にいることを保障する「弁護者」です(ヨハネ14章16節)。私達もまた聖霊に励まされて、御言葉の説き明かし(奨励)や祈りや奉仕に励みたいと思います。 |
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(6月8日の礼拝説教から 牧師 井上一雄) | |||||