8月の礼拝説教から

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   聖書 使徒言行録 10章34〜43節
 
     
 

 34そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。35どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。36神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、37あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。38つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。39わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、40神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。41しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。
42そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。43また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」

 
      (c)日本聖書協 会『聖書 新共同訳』 より
 







           
  説教 「イエス・キリストが先立つ」  
           
  「イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています」(43節)。  
 



 
           
   この8月4日(月)から、日韓教会青少年交流ツアーが名古屋を中心に行われ、韓国から31名の方々を迎えました。名東教会もそのための奉仕をしました。6日(水)午後、四人の方々の発題を聞きました。その中の一人、在日の大学生は、韓国人であることを理由に厳しいいじめに遭い、小学生の時からずっと苦しんで来たことを話してくれました。心が痛みました。しかし、彼はこう述べています。「日本人と韓国人も、今の日本の教会と韓国の教会のようになれることを願っています」。

 「異邦人は穢れている」と教えられ、それを少しも疑わずに来たペトロ。そのペトロを、主はローマの百人隊長コルネリウスのもとに遣わされます。コルネリウスの救いためにも神が尽くしておられることを知って、彼はこう言いました。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられているのです」(35節)。ユダヤ人は、異邦人との間に高くて大きな壁を作りました。私たちにも罪によって自ら築いた壁があります。しかし、神にはありません。そればかりか、互いに愛し合うことを求めておられるのです。

 近年、戦争のない状態を「消極的平和」、貧困・差別・いじめのない状態を「積極的平和」と呼ぶようになって来ました。壁を越えて互いに敬い助け合うことこそ平和の土台なのです。「積極的平和(主義)」を唱えながら戦争の備えをするのはまやかしです。
しかし問題は「人と人の間にある壁」だけでしょうか。神に対して築いた「人間の罪と無知による厚い雲(=壁)」(J・カルヴァン)こそ、自分を見失わせ、隣人を見失わせ、神を見失わせている元凶ではないでしょうか。だからこそ神は、十字架のキリストによってそれを取り払われるのです。それを知ったペトロは語ります。「神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう」(36節)。

人と人、神と人。その和解はキリストによって現実のものとなるのです。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」(エフェソ2章14節)とあります。主イエス・キリストを信じて、「その名によって罪の赦しを受ける」(43節)ことこそ、まことの平和(シャローム)の道です。先立つキリストに導かれてまいりましょう。
 
    (8月10日の礼拝説教から  牧師 井上一雄)  
           
           
           
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