3月の礼拝説教から

 PDFファイルで読む 
 ロゴ
ホームへ

説教集へ
 ※ この説教の音声再生コントロールは、ページの一番下にあります。  
           
           
   聖書 使徒言行録 14章 21〜28節
 
     
 

21二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、22弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。23また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。24それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、25ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、26そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。27到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。28そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。

 
      (c) 日本聖書協 会『聖書 新共同訳』 より
 







           
  説教 「神が行われたこと」  
           
  弟子たちを力づけ、・・・信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた(22〜23節)。  
 



 
           
   パウロの命をつけ狙うユダヤ主義者は、リストラで「パウロに石を投げつけ、死んでしまったと思って、町の外へ引きずり出し」(19節)、逃亡します。幸い、彼は生きていまいて、その後も伝道の熱意が衰えることはありませんでした。それにしても、このような出来事が彼にとって些細なことではなかったことは当然です。生きる望みさえ失わせるほど大きなダメージとして蓄積されて行きました(コリント二1章8~9節前半)。
しかし、その苦しみを、彼は「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいる」(コリント二1章5節)苦しみだと理解します。苦しみの中で与えられる慰めもまた、「キリストによって満ちあふれている」(同)慰めです。わたしたちにも言えることではないでしょうか。「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」(同4節)。キリストに結ばれた者は、苦しみや慰めによってさらに絆を強くされるのです。
リストラを去り、デルベで伝道をしたパウロとバルナバは、リストラ、イコニオン、アンティオキアを引き返すルートを辿り、帰還します。しかし、その町々はすべて迫害のために追われた町です。なぜ、わざわざ危険を冒すのでしょう。理由は「弟子たちを力づけ」(使徒言行録14章22節)、「弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、・・・信ずる主に任せる」(23節)ためだったようです。
ここで言う「弟子」は、「パウロとバルナバの弟子」ということではありません。「神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」(使徒言行録6章7節)とあるように、御言葉によってキリストを信じる「信仰に入った」人は皆、キリストの弟子です。
二人は、弟子たちを励まし、「長老たちを任命し、断食して祈り」ます。長老の存在と働きの大きさを改めて思わされます。しかし、彼らを立て、成長させてくださるのも、用いるのも主であることを忘れてはなりません。そのため、「彼らをその信ずる主に任せ」(23節)ています。アンティオキアに着いた二人は、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告」します(27節)。そうです。伝道も教会形成も、全て主の御業です。
 
    (3月1日の礼拝説教から。牧師井上一雄)  
           
           
           
  ■ この礼拝説教を音声 で再生する■