7月の礼拝説教から

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   聖書 使徒言行録16章6〜15節
 
     
 

 6さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。7ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。8それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。9その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。10パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。
   -フィリピで
 11わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、12そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。13安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。14ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。15そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。

 
      (c) 日本聖書協 会『聖書 新共同訳』 より
 







           
  説教 「主が彼女の心を開かれたので」  
           
  「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」(14節)。  
 



 
           
   パウロたち一行は,アジア州最大の都市・エフェソでの伝道を願いました。ところが、「御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」といいます(6節)。伝道は、神のご命令とご委託によるものです。「キリスト者を増やそう。仲間が増えることは良いことだ。教会を増やそう。そうすれば、教会の未来は明るい」などと考えて伝道をするのではありません。伝道は人間の動機や野心ではなく、神の御心によるものだからです。
「イエスの霊が許さなかった」(7節)ため、彼らはとりあえずトロアスへ下りました。「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った」(9節)と言います。キリストによる救いを切に求める「マケドニア人」は、今も近くにいます。
彼らは、示されるままにマケドニア州(今のギリシア南部)に渡り、大都市・フィリピに行くと、安息日に川岸に集まって祈る婦人たちがいました。パウロが話しをすると、かなり注意深く聞く女性がいました。名はリディア。「ティアティラ市出身の紫布を商う人」(14節)だと言います。ユダヤ人ではないようです。それよりも注目しなくてはならないのは、彼女が「神をあがめる」人だったことです。経済的な成功・不成功に心を奪われることなく、永遠の神を求め、神からの祝福を求めていたのです。
彼女について聖書はこう言います。「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けた」(14節〜15節前半)。人間が、神の言葉を伝えるには、限界があります。また、受け手が一所懸命「聞こう」とすれば、神の言葉が受け入れられる、とは限りません。他の女性達もパウロが語る御言葉を一所懸命聞いていた筈です。しかし、リディアだけがキリストを受け入れました。「主が彼女の心を開かれた」ためだと、聖書は言うのです。
そのように、人の心を開くのは主御自身です。わたしたちではありません。では、わたしたちにできることは何もないのでしょうか。勿論、そうではありません。主は、「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても、悪くても励みなさい」と命じておられます(テモテ二4章2節)。神が、頑なな人の心を開いてくださること信じて励むのです。結果はすべて神に委ねて励むのです。  

 
   (7月5日の礼拝の説教から。牧師井上一雄)