2019年8月の礼拝説教から

 
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  説教 「悔い改めから和解へ」 マタイによる福音書5章21〜26節  
           
  「まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」(24節)  
 



 
           
   主イエスは「殺してはならない」という、十戒の一部についてお語りになりました。
 今日の聖書から考えることのひとつめは、聖書の御言葉は表面的なものではなく、御心がどのようなものなのかを、その御言葉に接しながら祈り求めていくことが必要だということです。「兄弟」に対して、腹を立てる、ひどいことを言う、これらは殺してはいません。しかし、相手を自分の都合でどうにかしてやろうという精神を、主は悲しまれます。そして、私たちの心の中に住んでいるこのような悪を、どこまでも退けようとなさいます。
 今日の聖書から考えることのふたつめは、神様の前にだけいい顔をしていればよいのではないということです。神様か人かの二者択一で生きるのではなく、他の人をないがしろにするならばそれは御心に適っていないと、主イエスは教えています。またマタイによる福音書9章13節や12章7節では「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」とも語っておられます。人間同士の豊かな交わりを喜んで下さり、求めておられます。神様とのことと、その他のことは、別々の事柄ではなく一本でつながっています。
 私たちは、腹を立てる心、人を傷つけようとする心、疎ましいと思う心を持っています。一時おさまったとしても、また次から次へと湧き出てくるのです。主イエスは、誰かに対して腹立たしい思いになった時、ではどうすればよいかを教えてくださっています。私たちが怒りの思いに陥ることを否定せず、人間の弱さをご存知です。その上で、私たち自身が自ら動いて、兄弟姉妹と仲直りすることを勧めています。仲直りするとは、和解するということです。自分に反感を持っている人がいると思い出すこと、これは神様からの賜物です。そして神様に背中を押していただき、兄弟の元へ戻っていきます。主イエスと出会った私たちはそのままではおらず、状況を打破してまたあるべき姿に戻ってくることができます。
 25節の「裁判官」とは主であるイエス・キリストですが、裁くだけではなく、和解のために働かれる方でもあります。主イエスは、私たちと父なる神様とが正しい関係に回復されるために、少しも妥協することなく働かれます。そして、上からの惜しみない聖霊の力でもって、昨日の自分から新しい自分へと変えさせてくださいます。
 今年もこの8月、終戦記念日を迎えます。どこまでも御心を追い求めていくこと、主イエスの教えに立ち返ること、祈ること、「兄弟」である近しい人たちと和解することを、わたしたちは求められています。
 
   (8月11日礼拝説教から。伝道師永井文)