2020年6月の礼拝説教から

 
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  説教 「わたしたち」
マタイによる福音書6章9〜15節
 
           
  「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(11節)  
 



 
           
   この聖句は、週報に毎週記されている主の祈りの元となった教えです。特にこのほど、おひとりで礼拝を守った方もいると思います。そんな今だからこそ、主の祈りの中の「我ら」という言葉に注目しましょう。「わたしたち」という言葉の中には、わたしと、わたしではない他の人がいます。そしていつでもその真ん中には主イエスが、祈ってくださる方として共にあられます。
 主イエスは、祈りを通してわたしたちに、共に生きることを教えてくださっています。「わたし」は、ひとりではないのです。その時は、部屋には一人かもしれません。しかし、祈り、祈られる、主によって結ばれた仲間がいます。主の祈りを祈るそのところには、誰かに祈られているわたしもいます。そして、祈ってくださる主イエスがいます。祈りによって、イエス・キリストによって、確かに支えられているわたしがいます。
 主の祈りには、「神様と私」という縦のつながりだけでなく、「わたしとあなた」という横のつながりがあります。主イエスは、弟子のために、わたしたちのために祈る方です(ルカ22章32節)。信仰が無くならないように祈り、立ち上がる力を与えてくださる方です。
 祈りは、わたしたちが想像する以上に、広がりを持っています。わたしたちの目の届かないところ、心の配りきれないところにまで、広がっています。わたしたちの足りないところを、人ではなかなか成し得ない欠けまでも、主イエスが、補って、埋めてくださっているからです。
 「わたし」は、「わたしたち」として、天にいます神様へと祈りを届けます。祈りが向かう方向は、やはり、天であり、神様です。横のつながりだけでは、わたしたちは崩れてしまうでしょう。上で繋ぎ留められ、束ねられているからこそ、「わたしたち」があります。主は備えてくださり、整えてくださり、力づけてくださっています。目には見えなかったとしても、必要なところに必要なものを与えてくださっています。
 今は少し、いつもの生活を取り戻しつつあるかもしれません。けれどもまた、別の災難が襲うこともあるでしょう。それは天の裁きというよりは、主イエスと再び出会う機会を与えられています。天からの恵みに気付き、新しく受けることができます。
 主イエスは、祈りに導いてくださっています。共に生きることを、主の祈りを通して知らせてくださっています。弱ったときにこそ、わたしたちを強めてくださっています。苦難の中に置かれても、祈りを合わせつつ、主へとこの先の歩みをゆだねてまいりましょう。
 
   (6月14日礼拝説教から。教師試補永井文)