2020年8月の礼拝説教から

 
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  説教 「中心に主がいてくださる」
マタイによる福音書6章19〜21節
 
           
  「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」(21節)  
 



 
           
   今日の御言葉は、いつどんな時でも確かで強い主イエスが、わたしたちの中心となって支え、強めてくださるということです。
 主イエスは「富は、天に積みなさい」(20節)と教えておられます。ただ、天に富を積むとは、一体どういうことだろうかと考えてしまいます。主イエスが目にした人の中には、金目のものが絡んでくると冷静さを失う人がいたようです。それはわたしたちの周りでも同じかもしれません。表面的なものに目がくらむことがあります。
 天に富を積む、という教えで一番重要なことは、わたしたちが主であるイエス・キリストの方向を向いて歩むことです。天には、わたしたちが積むまでもなく、豊かなものがたくさんあります。よく「恵み」「賜物」などと言いますけれども、わたしたちは常々、天からいただく一方です。天には、地上に積む富よりももっと豊かな、地上の価値で測りきれないものがたくさんあります。
 今回の御言葉は、単純な金銭の話ではありません。わたしたちに求められていることは、主であるイエス・キリストを中心として、心をひとつに一致することです。
 地上のものには、浮き沈みがあります。しかし天には浮き沈みはありません。主イエスは、浮いたり沈んだりはしません。わたしたちは、浮くことも沈むこともよくありますが、再び歩み出せるのは、主によって、新しい自分へと改革されているからです。本当に自分を生かしてくださる原動力こそ、本当に価値のある富です。天に積まれた富です。
 「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」(21節)とあります。富は天に積みなさいという主イエスですから、その富は天にあるとして、すると、わたしたちの心も天に置かれているというのです。
 心とはここでは、気持ちとか思いやりというよりは、生活の全体的な中心ということです。ですから、主を信じるわたしたちの中心は天にある、というのです。この地上で生きながらにして、中心を天に据えることができます。
 わたしたちは、浮いたり沈んだり倒れたり不安になったりはしますが、主イエスという確かな中心を持っています。時に、主にしがみつくようにして嵐をやり過ごすような時もあるでしょう。今もそうかもしれません。忍耐の時です。教会ではよく、主イエスはわたしたちを生かしてくださると、言っています。それは、いつも揺さぶられず強く雄々しく立っている主イエスが中心にいてくださるので、わたしたちもその強さをいただけて、導かれているからです。

 
   (8月9日礼拝説教から。教師試補永井文)