2021年12月の礼拝説教から

 
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  説教 「わたしの霊は神を喜びたたえます」
ルカによる福音書1章46〜56節
 
           
  「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(47節)  
 



 
           
   天使ガブリエルから神の御子を産むことを告げられたマリアは、最初「どうして、そんなことがあり得ましょうか」と答えています。戸惑うのは、当然かも知れません。ところが、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(35節)と告げられると、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と答えて行きます。何があったのでしょうか。それは、まさに聖霊が降り、神の力に包まれたから、というよりほかありません。クリスマスは、聖霊の出来事なのです。しかも、それはクリスマスの恵みにあずかる私たちにも言えることです。
マリアは、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」、と告白します。ルターは、これについてこう述べます。「マリアは『わたしは主をあがめます』と言わず、『わたしの魂は主をあがめます』と言っている。そのことが重要だ。自分の魂が、神の愛の中で浮動している。ほめたたえるように、立ち上がったのではなく、立ち上がらされているのだ」。
信仰は、よく水泳に譬えられます。泳げない人は、「自分の力で何とかしよう。じゃないと溺れてしまう」と考えて力み、かえって溺れたりします。しかし、水に自分の身を委ねると浮力が働いて浮くことも、泳ぐこともできます。疲れたら、何もしないでポッカリ浮いていることもできます。波の揺らぎも、日の光も心地よく感じて、「自由だな」、つくづくそう思います。それ似て、神に身を委ねるとき、マリアのように神の愛の中で浮動し、心から神を讃美することができるのです。
この「マリアの讃歌」は、ラテン語で「magnificatマグニフィカート」と呼ばれます。「あがめる」という言葉に因んで付けられました。「あがめる」はもともと「大きくする」という意味の言葉です。「メガ=巨大な」も地震の規模を表す「マグニチュード」も語源は同じです。マリアの「あがめる」は、さまざまなものを差し置いて「主を大きくする」ことです。彼女はまだ結婚していないのに、聖霊によって神の御子を宿します。いろいろな悩みがドッと押し寄せたはずです。しかし、それを乗り越えます。主なる神を「大きくした」からです。礼拝とはまさにそのことです。
翻って、わたしたちはどうでしょう。自分や他人、抱える問題や悩みばかり大きくして、爆発的な神の力を受け入れていないことはないでしょうか。反対に、聖霊なる神に委ねるべきことを委ねるとき、喜びが起こります。神の絶大な愛の中に自分を見出すとき、さまざまな重圧をはねのけて自由にされます。マリアの身に起こった出来事は、もちろん特別なことですが、聖霊による神の働き掛けはわたしたちにも起こることなのです。
 
   (12月5日礼拝説教から。牧師井上一雄)