2022年6月の礼拝説教から

 
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  説教 「聖霊は、あなたと共に、あなたの内に」
ヨハネによる福音書14章15〜17節
 
           
  この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである(17節)  
 



 
           
   「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」とイエスは言われます(15節)。この「愛する」と訳されたギリシア語は、一般に使われていない「アガパオー」(名詞「アガペー」)です。「アガペー」は神から来る愛です。私たちについてこの言葉を用いるのは、単なる「情愛」ではなく、父・子・聖霊なる神の愛の交わりの中に、私たちが入れられているからです。そのため、「守るべきである」(口語訳)ではなく、「守る」とおっしゃるのです。信仰は私たちの覚悟や努力だけで成り立つものではありません。神さまとの愛の交わりの中で豊かに育まれるものです。
 最後の晩餐の時、主イエスは弟子たちの足を丁寧に洗われました(13章)。この御言葉はその時のものです。私たち罪人を救うための犠牲を表すこの聖餐は、キリストに結ばれていることを豊かに示します。ここで言われる「掟」は原文では複数形です。しかし、たくさんあるコマゴマした規則ではありません。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように」(13章34節)と言われるように、主イエスの愛に支えられて愛に生きようとする、それが掟の中身です。
 この「掟」は、御言葉でもあります。神の御言葉に生きようとする者たちに、主イエスはこう約束されました。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(16節)。「弁護者(パラクレートス)」は、「助け主」や「慰め主」という意味です。もともと、「呼ばれてそばに来てくれる者」という意味の言葉です。どうして呼ぶかというと、助けが必要だからです。慰めが必要だからです。この世のものでは癒されないからです。
 この「別の弁護者」は「真理の霊」だとも言われます(17節)。「真理」には「真実」の意味もあります。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と主は言われます(ヨハネ8章31,32節)。私たちの信仰を確かにするのは自分ではありません。私たちを自由にするのも自分ではありません。主イエスの真実です。イエス・キリストそのものが、私たちの信仰と宣教の中身なのです。
 そのため、「あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいるからである」と言われます(17節)。主イエスによって示される霊は「イエスは主である」と告白する聖霊です(コリント一12章3節)。聖霊は、永遠に私たちと共におり、そして私たちの内におられます。

 
   (6月5日聖霊降臨日礼拝から。牧師井上一雄)