2022年8月の礼拝説教から

 
 ロゴ
ホームへ

説教集へ

           
  説教 「接ぎ木された野生のオリーブの枝」
ローマの信徒への手紙11章17〜24節
 
           
  折り取られた枝に対して誇ってはなりません(18節)  
 



 
           
   8月第一主日は、「世界の教会をおぼえる日」です。今年は、ウクライナ避難者のために尽力しているハンガリー改革派教会をおぼえます。東日本大震災直後に医療スタッフを派遣してくださった教会です。日本キリスト教会もまた、難民支援のための祈りのしるしとして献金を同教会に届けました。世界の教会をおぼえるとき、私たちは、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ」(コリント一12章26節)という御言葉の恵みを実感いたします。
 さて、ローマ書は9章から、主イエスを処刑し、使徒たちの活動を執拗に妨害したユダヤ人の問題を取り上げています。そのため、パウロは「見なさい。私たちは異邦人の方へ行く」と宣言せざるを得ませんでした(使徒言行録13章46節)。では、ユダヤ人が神に選ばれたことは間違いだったのでしょうか。彼らは捨てられ、異邦人だけが救われるのでしょうか。
 いいえ。神の選びの民・イスラエルそのものが失われたわけではありません。根や幹は残っています。確かに、神の言葉を受け入れなかったために、ユダヤ人は、根と幹から「折り取られた枝」になりました。その代わり、「野生のオリーブ」である異邦人が接ぎ木されました。しかし、ユダヤ人も接ぎ木されるチャンスは残されています(24節)。
私たち異邦人キリスト者は、「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれた」のです(ヨハネ1章13節)。だからこそ、「代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、折り取られた枝に対して誇ってはなりません」と言うのです(ローマ11章17~18節)。
 聖書のこうした発言は、後の教会に対する警告でもあります。にもかかわらず、異邦人キリスト者は、執拗にユダヤ人対して誇り、「ジーザス・キラー、キリスト殺し」といって彼らを迫害して来ました。ユダヤ人の人権を認めず、ゲットーと呼ぶ場所に隔離しただけでなく、挙句の果てに民族浄化のためにホロコースト(大量虐殺)まで引き起こします。
 パウロは、「ユダヤ人は、不信仰ために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ、恐れなさい」と重ねて警告します(20節)。「信仰によって立つ」とは、キリストの愛と憐れみによって、神の御前に立つことです。「ファリサイ派の人と徴税人の譬え」(ルカ18章9節以下)によって、主イエスは、他人と比べて自分を誇るのではなく、「神さま、罪人のわたしを憐れんでください」と悔いし砕けた魂をもって告白することへと招いておられます。
 
   (8月7日礼拝説教から。牧師井上一雄)